稀有な天才棋士を描いた松山ケンイチ主演映画『聖の青春』!!
この冬一番の感動作が2016年11月19日(土)劇場公開されました!!
その作品は『聖の青春』。
大崎善生さん著のノンフィクション小説を基にした、村山聖さんの最期の4年間にスポットを当てた映画になっているとの事です。
大崎善生さんは、十数年にわたり、将棋雑誌編集者として、将棋に生きる村山聖さんを間近で見ていた近しい方のうちの一人です。村山聖さん自身にもとても信頼されていたように読んでいて感じました。
そばで村山聖さんを見詰めてきたからこその、愛と闘いの人生の、真実が描かれたいのちの物語です。
以前からこの原作を読んでいて、村山聖さんの大ファンだったという松山ケンイチさんの熱烈アプローチにより、今回の映画化が実現した、と言われています。
26kgも体重を増やし、文字通り身も心も捧げて、村山聖さんを生き抜いた、心を掴まれる傑作ノンフィクション映画です。
文字通り、感情を動かされます!心揺さぶられます!!
まだまだ絶好調な『君の名は。』をも超える大ヒットな予感です!!
『聖の青春』とは!!
『東の羽生、西の村山』と謳われ、将棋界で一世を風靡した天才棋士たちのぶつかり合いを描いたこの作品の主人公、村山聖さん。
「東に天才羽生がいれば、西に怪童村山がいる」
村山さんは言わずと知れた天才、羽生善治さんと同世代であり、将棋界の革命時と言われる時代に、すい星のごとく現れました。
その『羽生世代』と呼ばれる若者たちは、勝つ者だけが存在を肯定される将棋世界の中で、スマートかつ鋭利に周りの大人たちをなぎ倒していき、それまでの将棋界の常識をバッタバッタと覆していくのでした。
そんな同時期、病院のベッドの上でメキメキと将棋の腕を上達させている少年がいました。
それが、村山聖さんです。
3500gで生まれ、3兄妹の末っ子として生まれた活発な少年だった村山聖さんは3歳頃にネフローゼという腎臓の病気を患い、5歳でその病名の診断を受け、そこから病気と共に人生を生きて行く事になります。
迎えられないと思っていた20歳を迎えることが出来て喜んだり、将棋界のトップ10が集まる最高峰のA級に戻ってきたり、数々な出来事を乗り越えながら栄光を勝ち取っていく彼は、27歳で進行性膀胱がんを言い渡されます。
そして、少しも諦めることなく将棋世界に生き、そこで立ちはだかる困難、喜びに出会いながら、将棋仲間に愛されつつも彼は29歳でその短い生涯を終えます。その怒涛の生涯を知ることが出来る、大変貴重な物語なのです。
村山聖さんの魅力とは!!
松山ケンイチさんは、語っています。
「命を燃やす、という言葉が似合う方、心が揺さぶられた。生き方に惹かれた」、と。
「この人のためだったらすべてを捨てられるという思いがあった。」
そう10/5の映画の完成披露試写会で語っていました。
また、撮影が終わった今でも前に進めないでいる、ともインタビューなどで話されていました。
抜け出せない、と。
村山さんは自分の、原作を読んだ勝手な印象で言うと、とても泥臭い人、と感じました。
それは悪い意味ではなく、ピュア、人間味溢れる飾らない人、とも言い替えることが出来ます。
「将棋の名人になる」というベールを身に纏い、色々な事に立ち向かいます。
そのベールの前では病気だという事実すらも蹴散らしていくようでした。
そして、その強いベールで、次々と目の前に立ちはだかる困難を、かわしたり、潰されたりしながらも乗り越えて行きました。
幼少の頃からの経験も、独特な彼の雰囲気を作り出す大きな要因の一つでした。
同じ病院で仲良くなる、自分と同じくらいの年の子供たちが一人、またひとりいなくなっていく日常。
看病はしてくれるけど、結局助けてはくれない大人。
だるさも辛さも結局は誰も代わってくれない冷たい過酷な現実。
いなくなったお友達たちはどこへ連れていかれているのか、病院に暮らす少年たちは自然に知って行くのです。
そんな独特な幼少時代の経験が、彼を絶望で覆ったりもします。
彼を知る人物は、純粋で愛らしい笑顔と幼い風貌とともに、人生や大人を見透かしたような目をする点やそのようなギャップのある空気感も一様に指摘していました。また、ネフローゼ特有のむくみから来るぷっくりほっぺを携えたその幼い少年の、その真ん中に宿る炎に、いつも周りの大人たちをはっとさせられてばかりでした。
全身全霊を掛けても足りない役、と松山ケンイチさんは言います。
村山聖さんは将棋が生きるという事だった。
将棋を通して生き、将棋を通して人生、広い世界を知ります。
それと同じように、松山ケンイチさんにとってはその将棋が俳優という仕事だった、と。
そういうものに出会えるというのはとても幸福で、恵まれた人生なのではないかと自分は感じます。
命のはかなさを知っている村山聖さんは、慈愛に溢れていました。髪も髭も爪も、伸びるのには訳がある、命あるものを切りたくない、と彼は言いました。伸びっぱなしの髪の毛やひげ、伸びっぱなしの爪は周囲には有名な、彼の象徴でもありました。
彼は奢らず裏も表もなく、真っ直ぐに、そして誰とでも対等に接しました。目上の方にでも(笑)。
その飾らない人柄と、嘘のない幼い瞳、そして将棋に対する類稀なる執念と集中力、一言に才能といわれるがその裏にある終わりのない努力や情熱。すべてを知ったうえで、みんなが彼のことを認め、彼のことが大好きでした。
人間味あふれる素のままで生きる彼を愛おしいと思っていました。
しかし病魔は容赦なく、彼に襲い掛かるのでした。
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映画としての『聖の青春』
松ケンさんは26kgほどの増量に挑み、体当たりで文字通り、命をかけた対局に挑みます。
まるでご本人が乗り移っているかのような、演技を越えた怪演と大絶賛されました。
村山聖さんが亡くなってから18年が経ちますが、今年の11月に「あの村山聖が蘇った」、と松山さんを見た、村山さんを知る人たちは口を揃えます。
村山さんのお母様のトミコさんは一度目は涙でほとんど見られなかった、とお話されていました。
そこに聖がいるようで、と。
また、映画面に関しては色々な意見も。
原作とは違い、時間の関係なのか谷川浩二棋士が出てこないとの事で、賛否両輪の声が上がっていました。
村山聖さんにとって谷川棋士は特別な存在でした。圧倒的な強さで尊敬の念を抱かせてしまう羽生善治さんとは違い、村山さんが必要以上に敵視し、そこへの執念が自身の原動力、生きる力にまでなっていたのが谷川さんの存在でした。
村山さんがここまで大きくなれたのも谷川さんへの強い想いがあったからだと感じます。
それは村山さんが一方的に抱いた親近感からなのでしょうが。
そこを省略してしまうとは、という意見でした。
しかし時間の関係上と言われたら仕方ないのでしょうが、ちょっと残念です。
今回の映画は、村山聖さんと羽生善治さんのラブストーリー(笑)だと言われているので、そちらに焦点を当てているので仕方ないのかな?
死という部分はデリケートなものなので、死んでしまうから涙、とか感動で泣ける、とか言うのはちょっと違和感があります。
しかし、この、まだ幼いともいえる一人の若者の存在は、確実にどすんと重く胸に来ます。
自分は日々こんなに命を燃やしているだろうか、と。
一生懸命、一生懸命と人は、言葉では簡単に言うけれど、本当に一生を懸けて命を燃やしていることが自分にはあるのか?と。
胸に来るんです。痛みます。
そういうものに出会えた村山聖さんを見て、そこへ向かう真っ直ぐさや生きざま、強さには尊敬の念を抱くと同時に、心をぎゅっと掴まれ、また、打たれます。
そしてどうしようもなく思うのです。ただ、ただ、生きていて欲しかったなぁ、と。
生きて、その姿をもっともっと見たかった、と。
後から村山聖さんを知って、こんな事を言うのはおこがましいですが、生きていて欲しかった。想いの限り、命を尽くせたご本人は幸せだったかもしれない。
やり残したことも後悔もあったかもしれない、でも自分の人生に責任を持って生きたと思うのです。分かるのです、そこの葛藤は計り知れないですが、心が死んだまま生きろなんてことは言えない、一番好きなものを諦めてベッドの上で横になったまま長く生き続けろ、なんて言えない。分かるのですが、それでもやっぱり生きていて欲しかった、と思ってしまいます。勝手な個人の想いですが、今生きていたらどんなだったかな、なんて思わずにはいられなかったです。
ただただ、病気との共存は辛いものではありますが、やっぱり生き続けて欲しかった、と悔やまれてならないのです。
応援したかったなぁ。今の今も。
負けてもいいから、格好悪くてもいいから、弱くてもいいから、ただ、もっともっと生きて将棋を楽しんで欲しかったなぁ、と。凄くなくてもいいから、天才じゃなくてもいいから、生きて笑っている姿を見ていたかったなぁ。
でも、つらい病気の人生を長くなんて無責任なことは言えないので、そこは苦しいのですが。
そんな魅力的な村山聖さんが松山ケンイチさんの姿を借りて蘇るこの映画『聖の青春』は本当に必見です!
原作小説も合わせて必読ですよ!
『聖の青春』2016 KADOKAWA
監督→森義隆『宇宙兄弟』
村山聖役→松山ケンイチ
羽生善治役→東出昌大
師匠 森信雄役→リリー・フランキー
村山の弟弟子 江川貢役→染谷将太
村山の先輩棋士 橘正一郎役→安田顕
村山トミコ(母親)役→竹下景子
将棋仲間 荒崎学役→柄本時生
将棋雑誌編集長 橋口陽二役→筒井道隆
映画の対局の場面では、実際その当時に行われた対局棋譜をもとに再現されているのだとか。
俳優さんたちは台本と同時にその棋譜も頭に入れながら、演技に挑戦しているそうです。
血の吹き出るような鬼気迫る切り合いを、どうか劇場で目撃してみては!
将棋ファンではなくても、人生の教本としても出会う価値アリです!!
村山聖さんはきっと、あなたに自分自身と向き合うきっかけをくれます。